内定取消のはなし(1)
2008年 11月 09日
この不景気で学生の内定取消をする企業が出てきているという。なんだかバブル崩壊直後の時と似てきた。大手企業はまだ体力があって、のちのちの評判に響くこともあって、そうそう内定取消はないだろうが、そうでない企業のほうが圧倒的に数が多いのでこれからまだまだこういう話が出てくるのではないかと危惧している。わたしがこのはなしに食いつく理由はただ一つ。実は、わたしも十数年前内定取消という憂き目に遭っているからだ。あのときのガッカリ感とか不安、心細い感じは、他の事に例えようはない事柄だ。
短大2年のときプログラマになりたかったわたしは、就職課の事務員さんの勧める地元企業の事務職での就職ではなく、自分で就職先を探し始めた。そして、玉数のある東京に的を絞って、何度も就職説明会に足を運び入社試験を受け続け、なんとか従業員規模50人超のソフトウエアハウスから内定を貰い、10月1日に内定式に行き、同期とであろう、他の4人の学生とも顔を合わせた。
ところが11月の中頃会社から電話があり「重要なお話があるのでそちらにお伺いします」ということで、理由も知らされぬまま浜松駅中の喫茶店に呼び出され、そこで会った部長から内定取消の話を聞いたのだ。
正確には、申し訳ないが、業績が悪くなったので内定取消に同意してくれ、という内容だった。たしかに東京からわざわざ来るということはよっぽど重要なことだとは思ったが、まさか内定取消とは思っておらず、晴天の霹靂でだった。ビックリして「この場で返事は出来ない」という返事をした。2、3度このやりとりがあったのだが、そのあと部長が言った言葉で、わたしはキレた。
「実は、商談でここまで来て、このあと商談の相手とここで待ち合わせをしているのでそろそろ帰ってもらえないか」
人に「申し訳ない」と言いつつ、用事のついでか?人の将来がかかっているのにそろそろ帰れだぁ?
わたしは財布から千円を取り出した。「キミ、そんなことはいいよ」という部長の言葉を無視して伝票の上にドンと叩きつけ、努めて冷静に「結構です。ただ、ここですぐお返事は出来ません」と言って、喫茶店を飛び出した。返事を引き延ばしたところで、雇えないものは雇えないであろうことは判っていた。ただ、自分の近々の将来を決める決断をそんな短時間で強いられることがイヤだった。そのまま、当時知り合いの居た店に飛び込んでワンワン泣いた。
それが、内定取消を受けたときのわたしの話、である。その後どうなったかは、長くなったので次に・・・。
短大2年のときプログラマになりたかったわたしは、就職課の事務員さんの勧める地元企業の事務職での就職ではなく、自分で就職先を探し始めた。そして、玉数のある東京に的を絞って、何度も就職説明会に足を運び入社試験を受け続け、なんとか従業員規模50人超のソフトウエアハウスから内定を貰い、10月1日に内定式に行き、同期とであろう、他の4人の学生とも顔を合わせた。
ところが11月の中頃会社から電話があり「重要なお話があるのでそちらにお伺いします」ということで、理由も知らされぬまま浜松駅中の喫茶店に呼び出され、そこで会った部長から内定取消の話を聞いたのだ。
正確には、申し訳ないが、業績が悪くなったので内定取消に同意してくれ、という内容だった。たしかに東京からわざわざ来るということはよっぽど重要なことだとは思ったが、まさか内定取消とは思っておらず、晴天の霹靂でだった。ビックリして「この場で返事は出来ない」という返事をした。2、3度このやりとりがあったのだが、そのあと部長が言った言葉で、わたしはキレた。
「実は、商談でここまで来て、このあと商談の相手とここで待ち合わせをしているのでそろそろ帰ってもらえないか」
人に「申し訳ない」と言いつつ、用事のついでか?人の将来がかかっているのにそろそろ帰れだぁ?
わたしは財布から千円を取り出した。「キミ、そんなことはいいよ」という部長の言葉を無視して伝票の上にドンと叩きつけ、努めて冷静に「結構です。ただ、ここですぐお返事は出来ません」と言って、喫茶店を飛び出した。返事を引き延ばしたところで、雇えないものは雇えないであろうことは判っていた。ただ、自分の近々の将来を決める決断をそんな短時間で強いられることがイヤだった。そのまま、当時知り合いの居た店に飛び込んでワンワン泣いた。
それが、内定取消を受けたときのわたしの話、である。その後どうなったかは、長くなったので次に・・・。
by nao_ya
| 2008-11-09 19:41
| 日記